スポーツタイプの高級外車を乗り回し、エロいおねーちゃんを連れて歩き、まるでTシャツを変えるように女を変え作風も変え、情熱大陸系のTV番組でイっちゃった目をしながら「…アートとは恐らくオレにとっての空気?かな。」ってな感じにキテる感じのアーチストに憧れています。とりあえずは、何をすればいいんでしょうか?
僕は、日曜に男一人でインテリアショップをハシゴしちゃったり、
ミッドセンチュリーなリビングでボサノヴァをかけながら
ELLE DECOやCasaBRUTUSなどの雑誌を読んだりしちゃうような男です。
なので、僕にとって『アートとインテリアの関係性』とは、エロとアートの関係性と同じぐらい掘り下げたい重要なテーマのひとつなので、これ以降もちょくちょく書いていこうと思います。
近年の世界的な現代芸術ブームで、インテリア雑誌にもアートの特集が組まれたりしますが、
よく考えてみたら、もともとアートってインテリア業界と密接に関係しているというか、デュシャン以前のアートから考えれば、このふたつの関係性は昔っから深いわけです。
つまり、もっともシンプルなアートの存在意義として、まず装飾品であるという事。絵画や彫刻は飾って愛でる物である(もしくはあった)という事を思い出す必要があるのではないだろうか。なんて思うのです。
なんて思うと、昨今のインテリア雑誌におけるアート特集(アートを取り入れたインテリア特集)ってなんか妙なもの。本質を捉えていない表面的なものに過ぎない気がしてしまいます。
とはいっても、プロのスタイリストがインテリアコーディネイト目線でその空間にマッチした作品をしがらみにとらわれず選ぶわけですから、たまに無茶苦茶カッコイイ作品が載っていたりしてドキドキしてしまいます。いろんな意味で参考になります。
ミッドセンチュリーなリビングでボサノヴァをかけながら
ELLE DECOやCasaBRUTUSなどの雑誌を読んだりしちゃうような男です。
なので、僕にとって『アートとインテリアの関係性』とは、エロとアートの関係性と同じぐらい掘り下げたい重要なテーマのひとつなので、これ以降もちょくちょく書いていこうと思います。
近年の世界的な現代芸術ブームで、インテリア雑誌にもアートの特集が組まれたりしますが、
よく考えてみたら、もともとアートってインテリア業界と密接に関係しているというか、デュシャン以前のアートから考えれば、このふたつの関係性は昔っから深いわけです。
つまり、もっともシンプルなアートの存在意義として、まず装飾品であるという事。絵画や彫刻は飾って愛でる物である(もしくはあった)という事を思い出す必要があるのではないだろうか。なんて思うのです。
なんて思うと、昨今のインテリア雑誌におけるアート特集(アートを取り入れたインテリア特集)ってなんか妙なもの。本質を捉えていない表面的なものに過ぎない気がしてしまいます。
とはいっても、プロのスタイリストがインテリアコーディネイト目線でその空間にマッチした作品をしがらみにとらわれず選ぶわけですから、たまに無茶苦茶カッコイイ作品が載っていたりしてドキドキしてしまいます。いろんな意味で参考になります。
PR
筒井康隆の実験小説。
僕が今までに読んだ小説の中で、一番ぶっ飛んだ内容。そして一番完成された作品。
各章、順番に文字が消えていく小説。
虚構の中でもその文字の存在が消えその文字を含む物の存在が消える。
そんな奇抜なルールの中でテクニカルに繰り広げられる文章。それが最後まで貫かれる。
以前、アートの境界線の話で、小説はどうだろうと書いたけど。
この作品に関しては、十分に芸術作品だといえる。
これまでに二回読んだ。恐らく人生でもう一、二回は読むと思う。
ゆるやかなに失われていく言葉。その喪失感が素晴らしくここちよいです。
僕が今までに読んだ小説の中で、一番ぶっ飛んだ内容。そして一番完成された作品。
各章、順番に文字が消えていく小説。
虚構の中でもその文字の存在が消えその文字を含む物の存在が消える。
そんな奇抜なルールの中でテクニカルに繰り広げられる文章。それが最後まで貫かれる。
以前、アートの境界線の話で、小説はどうだろうと書いたけど。
この作品に関しては、十分に芸術作品だといえる。
これまでに二回読んだ。恐らく人生でもう一、二回は読むと思う。
ゆるやかなに失われていく言葉。その喪失感が素晴らしくここちよいです。
自分のアイデアをその道のプロ(例えば知り合いのカメラマンとか家具職人とか)に発注する作品というのをいずれ創ってみたいと思っている。
自分の作品に他人が絡むのはなんとなく変な感じがするのだけれど、恐らくその方がクオリティは高いものができるだろうし、他人とお金が絡む事で責任が生まれるという理由が大きい。
あと、ウォーホールや村上隆(もっといえば日本画の大家も中世ヨーロッパの美術家もか。)のようで、なんか偉い人っぽいからという理由もある。
まあこれは仕事でやっている事と非常に近いので、考え方のシフトはすんなりとゆく気がするけど、一番の問題はやっぱりお金なので、さしあたっては自分で作れる物は自分で作らないといけない。
もちろん職人気質のアーティストにも憧れはあるが、そのストイックな姿勢が自己満足のうちに終わってしまうアーティストも数多く存在するので、あえてそこに勝負を挑む事はしないつもりでいる。というのもある。
自分の作品に他人が絡むのはなんとなく変な感じがするのだけれど、恐らくその方がクオリティは高いものができるだろうし、他人とお金が絡む事で責任が生まれるという理由が大きい。
あと、ウォーホールや村上隆(もっといえば日本画の大家も中世ヨーロッパの美術家もか。)のようで、なんか偉い人っぽいからという理由もある。
まあこれは仕事でやっている事と非常に近いので、考え方のシフトはすんなりとゆく気がするけど、一番の問題はやっぱりお金なので、さしあたっては自分で作れる物は自分で作らないといけない。
もちろん職人気質のアーティストにも憧れはあるが、そのストイックな姿勢が自己満足のうちに終わってしまうアーティストも数多く存在するので、あえてそこに勝負を挑む事はしないつもりでいる。というのもある。
そろそろ何か作品を発表したいと思いつつ、あれこれ考え出して数週間。
まあこのレベルであればたぶん世に出してもいいのかもしれないなという作品の方向性、企画の骨格みたいな物がぼんやりとだが見えてきた。
さて
ここからが、実をいえば重要なのだと思う。
つまりここからが、僕の定めたルール<仕事のプロセスをアートに取り入れる>を実践するところなのだと思う。
つまり、アイデアだけでいきなり制作に取り掛かってしまった場合、(まあまあ満足のいく作品が創れたとしても)普通のアート制作のプロセスとなんら変わりがない。
なので、実制作に移る前に、ディレクション業で使っているノウハウを実験的に(とりあえずそのまま)取り入れてみる。
つまり企画書の作成やら予算組みやらマーケティングみたいな事をそのままキッチリとやってみようと思う。(もしかしたらいわゆるプロのアーティストたちはそんな事アタリマエにやっているのかな。まあやっている人もいるんだろうな。)
結局のところ、企画にゴーを出すのも制作費を出すのも僕自身なわけで
ちょっとバカみたいな(もしくはアートっぽい)気がするけれども、まあ一回やってみようと思う。
まあこのレベルであればたぶん世に出してもいいのかもしれないなという作品の方向性、企画の骨格みたいな物がぼんやりとだが見えてきた。
さて
ここからが、実をいえば重要なのだと思う。
つまりここからが、僕の定めたルール<仕事のプロセスをアートに取り入れる>を実践するところなのだと思う。
つまり、アイデアだけでいきなり制作に取り掛かってしまった場合、(まあまあ満足のいく作品が創れたとしても)普通のアート制作のプロセスとなんら変わりがない。
なので、実制作に移る前に、ディレクション業で使っているノウハウを実験的に(とりあえずそのまま)取り入れてみる。
つまり企画書の作成やら予算組みやらマーケティングみたいな事をそのままキッチリとやってみようと思う。(もしかしたらいわゆるプロのアーティストたちはそんな事アタリマエにやっているのかな。まあやっている人もいるんだろうな。)
結局のところ、企画にゴーを出すのも制作費を出すのも僕自身なわけで
ちょっとバカみたいな(もしくはアートっぽい)気がするけれども、まあ一回やってみようと思う。
松本人志は面白いヒトだけど、僕の周りの松本人志信者のように彼のすべてをリスペクトしてしまうのはどうだろうと思っている人間なので
昔、電波少年で完全にハズした『アメリカ人を笑わせるショートムービー』レベルの作品だろうと思い舐めてかかって観てみたら、けっこう面白かった。
簡単にいえば金のかかったコントなんだけど
中途半端に芸術作品ぽくしないで、最後の最後までコントの姿勢を貫き通し、それを映画と言い切って上映した事がとても新しかったと思う。
昔、電波少年で完全にハズした『アメリカ人を笑わせるショートムービー』レベルの作品だろうと思い舐めてかかって観てみたら、けっこう面白かった。
簡単にいえば金のかかったコントなんだけど
中途半端に芸術作品ぽくしないで、最後の最後までコントの姿勢を貫き通し、それを映画と言い切って上映した事がとても新しかったと思う。
カミュ。
読むタイミングを間違えたかもしれない。
最近の世の中の方がそうとうに不条理なので、期待していた不条理感がとても薄まってしまった。
主人公のような人間は世の中にけっこういる気がする。
セイン・カミュの大叔父(祖父母の叔父)らしい。
読むタイミングを間違えたかもしれない。
最近の世の中の方がそうとうに不条理なので、期待していた不条理感がとても薄まってしまった。
主人公のような人間は世の中にけっこういる気がする。
セイン・カミュの大叔父(祖父母の叔父)らしい。
エロい作品で、まず頭に浮かんだのが
会田誠さんのキングギドラだ。と思ってネットで調べていたら、ロングインタビューを発見。
「あんなに性器描写が出てきて、そろそろご子息の寅次郎くんが、親父さんの描いたのを見る歳頃でしょ。パパの仕事だと堂々と見せる覚悟はできてる?」というムチャな質問があり笑えました。たしかにはそういう問題が発生しますよね。
でも、そのおかげで(彼の作品はどちらかといえば好きではない)僕の頭にも一番に浮かぶほどの強烈な印象を持っているという事がいえます。
性表現も、このキングギドラとか藤代冥砂さんの写真集『ライドライドライド』ぐらいに、突き抜けるところまで突き抜けてしまえばとてもカッコいいと思う。カッコいい上にインパクトもある。
これは合コンでも全く同じ事がいえそうだけど、
エロは全く出さないか。モロにだしちゃうか。のどっちかでいった方がいいのかも知れない。
逆に、カッコつけて中途半端にチョロっと出したりすると卑猥で下品になってしまう。
会田誠さんのキングギドラだ。と思ってネットで調べていたら、ロングインタビューを発見。
「あんなに性器描写が出てきて、そろそろご子息の寅次郎くんが、親父さんの描いたのを見る歳頃でしょ。パパの仕事だと堂々と見せる覚悟はできてる?」というムチャな質問があり笑えました。たしかにはそういう問題が発生しますよね。
でも、そのおかげで(彼の作品はどちらかといえば好きではない)僕の頭にも一番に浮かぶほどの強烈な印象を持っているという事がいえます。
性表現も、このキングギドラとか藤代冥砂さんの写真集『ライドライドライド』ぐらいに、突き抜けるところまで突き抜けてしまえばとてもカッコいいと思う。カッコいい上にインパクトもある。
これは合コンでも全く同じ事がいえそうだけど、
エロは全く出さないか。モロにだしちゃうか。のどっちかでいった方がいいのかも知れない。
逆に、カッコつけて中途半端にチョロっと出したりすると卑猥で下品になってしまう。
こういう品のない経済書を馬鹿にして読まないようにしていたんだけど、読まずして馬鹿にするのはいけない事だと思い、品がないなりにも何か得られるかもしれないと考え、とりあえず読んでみる事にした。
読んでみたらやっぱり(というか想像以上に)品がなく、逆に品のなさを楽しみながら最後まですらすら読めた。
電通の社長が創った有名な鬼十則はとても素晴らしくいい言葉だったけど、著者のおっさんの文章がヒドい。各章、その十則になぞらえて書かれているのだけど、十則とあまり関連していない内容の文が並ぶ。そしてそのほとんどはテレビと週刊誌で知れるレベルの情報プラスおっさんの偏った想像。ひさしぶりにこんな文章読んだ。
それでもやっぱり勉強になる事は少しあったので、読書っていうのは大事ですね。
読んでみたらやっぱり(というか想像以上に)品がなく、逆に品のなさを楽しみながら最後まですらすら読めた。
電通の社長が創った有名な鬼十則はとても素晴らしくいい言葉だったけど、著者のおっさんの文章がヒドい。各章、その十則になぞらえて書かれているのだけど、十則とあまり関連していない内容の文が並ぶ。そしてそのほとんどはテレビと週刊誌で知れるレベルの情報プラスおっさんの偏った想像。ひさしぶりにこんな文章読んだ。
それでもやっぱり勉強になる事は少しあったので、読書っていうのは大事ですね。

