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スポーツタイプの高級外車を乗り回し、エロいおねーちゃんを連れて歩き、まるでTシャツを変えるように女を変え作風も変え、情熱大陸系のTV番組でイっちゃった目をしながら「…アートとは恐らくオレにとっての空気?かな。」ってな感じにキテる感じのアーチストに憧れています。とりあえずは、何をすればいいんでしょうか?
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小説家でいう<読書>とは芸術家にとってどんな行為に置き換えられるだろうか?
への自問自答。膨大な量の読書という蓄積があって初めてお金の取れる文章が書ける。


ただ文章を書くだけなら小学生でも書ける。上手い字で綺麗な日本語の作文も中学二年ぐらいなら書ける。でもその文章にお金は払えない。
中学生の作文と小説家の文章との差は、やはり膨大な量の読書、積み重ねられた努力の差だろう。読書を重ねる事で語彙が増え、知識が増え、表現が増える。


同じことで、ただ絵を描くだけなら3歳児にでもできる。練習さえすれば中学二年でもかなり上手いデッサンが描けるようになる。でもその絵にお金は払えない。
中学生のデッサンと奈良美智の絵の差。その差を考え、意識的に埋める努力をしなければ、いつまでたっても中学生のデッサンからは脱却できようがない。
そして、世間に求められている物なのか求められていない物なのかの判断は、絵を描くだけでは解りようがない。


結論。芸術家でいう<読書>とは、作品制作以外蓄積作業だ。と僕は思った。
他人の作品を観る(体感する)/過去の歴史を知る/今の流れを知る/いろいろな体験をする/人とコミュニケーションする/読書をする/映画を観る/音楽を聴く/エロいことする/旅をする/などなど。
そういった作業のなかで世の中のバランスを知り、自分だけのオリジナルを探し出す。そういった努力をまわりが引くぐらい積み重ねなければ、どれだけたくさん作品を作ったとしても、人に求められるような作品にはならないのではないだろうか。


中学時代から一心不乱に30年間自画像を描き続けた男が大成する場合もあるかもしれない。でもそれはただの運だ。
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同じような疑問を抱いたことがあるので
小説家に絶対必要だと思われる要素は<読書>ですが。
芸術家だけが作品以外の蓄積作業だとは言い切れません。
小説家にも<読書>で得た知識や体験だけでなく、過去の思い出だとか、実体験がなければ薄っぺらい表現に陥るのでは。
それよりも小説家がどのように<読書>をしているのかを考えるべきではないかと思うのです。
たぶん、読んだ本と同じ感じの本が書けるぐらい読み込んで、真似して書くぐらいしているんじゃないかと思うんですね。
つまり、その本を自分の力にするってことでしょうか。
だからやっぱり、芸術家にとっても絶対に必要なのは<制作>しかないと思います。
作品製作の以外の蓄積はすべてのアーティストにとって当然必要な要素といえるでしょう。
作品を作らないアーティストなんてアーティストと呼べませんね。
模倣でも実験でもなんでも、やっぱ制作し続けられる意志が必要なのでは。

あと結果論には注意したほうがいいと思います。
オリジナリルは作品が出来た結果、オリジナルだという客観的評価です。すべてのアーティストがとはいいませんが、別にオリジナルになろうと思って作品を作ってるわけではないと思います。自分の表現を突き詰めているから、出来た作品は自然とオリジナルなんではないかと。

たぶんRACTさんは言葉が違うだけで理解はしていると思いますが。
人に求められる作品は、すでに価値があるものです。
アーティストは人が求めていなかった作品を作ることが本当ではないでしょうか。
価値の創造です。

あと「中学時代から一心不乱に30年間自画像を描き続けた男が大成する場合もあるかもしれない。でもそれはただの運だ。 」
という文ですがアーティストとして「ただの運だ」、なんて絶対言わない方がいいと思います。
第一、運そのものが結果論です。
「それは運」なんていい始めたら限がないです。
今私たちが生きてるのも運がいいからなのですから。
「俺は努力したのに運が悪くて大成できなかった」完璧に言訳です。
「それは運がよかったね」と言わせるために出来ることは努力しかありません。
30年間自画像を描いて大成したのは運ではなく努力です。
運は結果。
努力は過程。

と最近は考えております。
薀蓄たれて失礼しました。
さんぽ 2008/09/05(Fri)09:48:42 編集
コメントありがとうございます。
さんぽさん。はじめまして。
良いご意見ありがとうございます

確かに、小説家にも<読書>以外の蓄積は必要ですね。僕も書いた後に思ったんですけど、この文章の主題は別だったので、訂正はしなかったです。

誤解をさせるような文章で申し訳なかったですが、僕は<制作>が不必要だとは書いていません。<制作>が必要だというのは当然の話なので、あえて書くことではないと思っていました。

『とりあえずがむしゃらに<制作>さえすれば何とかなる』という素人が抱きがちな考え方に批判する意味で、プロとして生きようと考えるのならば、努力を向ける方向もしっかり考えた方がいい。という意見が言いたかったわけです。

まああくまでも、しょぼいアートディレクターとしての観点と経験から書いているだけなので、説得力あんまりナイんですけどね。


>アーティストは人が求めていなかった作品を作ることが本当ではないでしょうか。
この言い回しは、とても気に入りました。
真剣に考えている人の文章はとても勉強になります。

また、気になる事がございましたら、是非コメントお願いします。
RACT 2008/09/05(Fri)12:11:06 編集
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