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スポーツタイプの高級外車を乗り回し、エロいおねーちゃんを連れて歩き、まるでTシャツを変えるように女を変え作風も変え、情熱大陸系のTV番組でイっちゃった目をしながら「…アートとは恐らくオレにとっての空気?かな。」ってな感じにキテる感じのアーチストに憧れています。とりあえずは、何をすればいいんでしょうか?
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ゴッホの「ひまわり」に対峙した時、ゴッホのいろいろな意味でのギリギリの生涯(もしくはカーク・ダグラスのイメージ)が重なるからこそ、なんかこの絵スゴいって感じるんだと思う。


ウォーホルも同じで、キャンベルスープの版画をみると同時にあのウォーホルのポートレートが頭に浮かぶ。


もし、キャンベルスープの版画をうちのお母さんが「こんなん作ったんだけどどうかな?」なんて持ってきても、恥ずかしいからやめてくれって叱るか、スープの缶詰をモチーフにするとはさすが主婦だなあと妙な感心をするかぐらいだろう。


やっぱり作品を作った人間に人を惹きつける魅力がなければいけない。と思う。


僕の場合。アートに限らずだけど、良い作品に出会い「おっ」って思ったら。次はその作品の作者を調べ経歴を知る。その後別の作品をみた時に「やっぱりいいな」と思ったらファンになる。ということは、作品は入り口(もしくは触媒)に過ぎず、じゃあ何に惹かれるのかというとその作品を創った人に惹かれる。のではないだろうか。


てことを、名曲ポリリズムを聴きながら、パヒュームが売れた理由と重ねて考えたりした。バレンタインの夜に。
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無題
昨日この記事を読んだ時、お母さんの話が超ウケたのでコメントしようと思ったんですが、これは案外笑えない色んな問題を含んでいるような気がしました。色々考えさせられました。

例えば仮にウォーホルが単なる主婦だったとしたら、同じコンセプトで同じ作品を作ったとしても、一蹴されて 美術史が塗り替えられることも無かった訳ですよね。
色々なオプションが付いて結果的に神格化されたんだと思うけど、実態はわからない。むしろ彼はメディアに弄ばれた方なんじゃないかと、彼のイメージだけが一人歩きしすぎたんじゃないかと、僕は解釈しています(ありがちかな?)。
そのオプションの部分だけで成り立ってしまう可能性、というか「如何わしさ」が現代ならでは、なんでしょうけどね。

逆に、評価という点において、
美術史を覆す才能が「所詮 主婦だから・・・」という偏見だけで埋もれてしまったとしたら、実に惜しいとも思う。
話が逸れてスイマセン。
URL 2009/02/17(Tue)02:49:24 編集
コメントありがとうございます。
どれだけ優れた作品を創り上げても、アーティストのイメージと作品の質がバランスよく成立しなければ駄目だという事だと思います。みる側が求めているものは作品の中身だけじゃないです。とても当たり前の事のようですが、あらためて考えてみるとなかなかおもしろいですよね。
2009/02/17 14:57
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